身近な医療倫理問題
最近新聞紙上にも医療倫理と言う言葉がよく登場します。脳死移植とか癌の告知という重たいテーマでその言葉が出ることが多いと思います。医学的側面だけでは問題が解決できない、もっと個々人の人生観や倫理観宗教観,家族や周囲の人の意向その国の文化など多面的検討が必要である場合に医療倫理という言葉が使われると思います。
患者さんの問題を多面的に検討
脳死移植や癌告知といったテーマだけでなく、実際の医療現場では、この倫理的な問題を考慮しなければならない場面が多くあります。「臨床倫理の4分割法」という手法があります。それは、その患者さんの問題を4つに分けて多面的に検討しようという試みです。
患者さんに関わる医師,看護師ケアーワーカー、ケースワーカー、ケアーマネージャーなど多くの職種や家族、場合によっては患者さん本人が参加してはなしあうやり方です。
稜北病院でもこの1年間に5人の患者さんについて、このカンファレンスで検討しました。
長嶋茂雄さんの場合は…
私がこの「臨床倫理の4分割法」のカンファレンスの方法を勉強した時、症例として出された人は長嶋茂雄さんでした。「脳梗塞でリハビリ中の長嶋さんを、アテネオリンピックの日本野球チームの監督としての是非について」がテーマでした。本人は行きたがっている。脳梗塞だが危険な急性期はすぎている。ギリシャの医療体制が心配だ。もし、万が一の事が起こったら誰が責任をとるのか。本人はいきたがっているから、ベンチで直接指揮をとれなくても、アテネへいかせてあげてはどうか。など色々な意見がでました。医師のみが参加した勉強会でしたが4つのグループすべてがアテネへ行ってもらおうと言う結論でした。
その後に稜北病院で同じテーマで検討する機会がありました。参加者は6人ほどで、職種はばらばらでした。この時の結論は長嶋さんをアテネにいかせるべきではないでした。
医療倫理は身近な問題
医師や看護師だけでは結論がでない、本人や家族だけでも結論がでない、周囲の状況によっては出て来る結論が違う、そもそも正解等ない、そんな問題が医療現場には多くあります。
例えば、食事が口から取れなくなった、いわゆるえんげ障害の90歳を越える患者さんの栄養問題をどうするか。「食べられなくなったら死んでもいい点滴だけで生かされるのは」と言う患者さんの言葉をどこまで尊重したらよいのでしょう。医療倫理は、どの病院でも、どの患者さんにも起こりうる身近な問題なのです。
